【デビュー物語】リトル・フィート

デビューの瞬間には、さまざまなドラマがちりばめられています!

どんなスーパースターにも、新人の時がありました。

ここでは、さまざまなアーティストの最初の一歩をご紹介します。

今回は、アメリカ南部の香り漂うバンド、リトル・フィートです。

これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。

それでは、ご覧ください。

ローウェル・ジョージ

リトル・フィートは1969年にアメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスで結成されたロックバンドです。

中心人物のローウェル・ジョージは1945年、カリフォルニア州ハリウッド生まれ。

幼いころから音楽好きで、ハーモニカの演奏から彼のキャリアは始まりました。

11歳のころにはアコースティックギター、そして高校生になるとエレキ・ギターを弾くようになります。

当時はハード・ロックの全盛期でしたが、ジョージはウエストコースト・ジャズなどの音楽を好んでいました。

1963年に高校を卒業。ロサンゼルスの大学で美術を学びながら生活費のためにガソリンスタンドで働きます。

マザーズ・オブ・インヴェンション

1965年、ジョージはザ・ファクトリーというバンドを結成しました。

このバンドには、のちのリトル・フィートのメンバーも参加しています。

シングルレコードを1枚発表して、ザ・ファクトリーは解散しました。

ジョージはその後、ザ・スタンデルズというバンドに短期間参加したのち、1968年にフランク・ザッパのバンド「マザーズ・オブ・インヴェンション」に加入します。

小さな足

ジョージはギタリストとしてマザーズに半年間ほど在籍したのち、1969年に脱退。

脱退の理由は諸説ありますが、ジョージの才能に気づいたフランク・ザッパが独立をうながした、ということのようです。

そして1969年、リトル・フィートが結成されます。ギターのローウェル・ジョージがリーダーとなりました。

バンド名のつづりはLittle Featで、「小さな足」という意味なので本来でしたらLittle Feetになります。

Feetのふたつめのeをaに変えたのは、ビートルズへのオマージュでした。

メンバーは、以前からの知り合いだったビル・ペイン(キーボード)、マザーズのメンバーだったロイ・エストラーダ(ベース)そしてザ・ファクトリーのメンバーだったリッチー・ヘイワード(ドラム)です。

彼らはワーナー・ブラザース・レコードとの契約に成功しました。

この契約には、フランク・ザッパの陰の協力があったと言われています。

リトル・フィート・ファースト

1970年、デビューシングル「ハンバーガーミッドナイト」、そして1971年にデビューアルバム「リトル・フィート・ファースト(Little Feat)」が発表されます。

しかし、どちらもヒットチャートに顔を出すことはありませんでした。

アルバムの中でひときわ目を引く曲が「ウィリン(Willin’)」です。

哀愁をおびた曲調、心にしみる歌詞を兼ね備えた名曲で、ジョージがかつてガソリンスタンドで働いていた時の経験がもとになっていました。

「ウィリン」は次のアルバム「セイリン・シューズ」にもアレンジを変え収録されています。一般的には、「セイリン・シューズ」のバージョンのほうが有名です。

リトル・フィートはハード・ロックが全盛だったこの時代に、ニューオーリンズ風のリズム&ブルースやジャズなど、アメリカの伝統的な音楽をベースにしている特異なバンドでした。

ZZ トップもそうですが、こうしたアメリカ南部のルーツ系ロックは日本ではいまひとつ人気が出ないジャンルとなっています。

しかし特に意識をせずに、もっともっと聴いていただきたいです。興味を持ったかたは、ぜひ「ウィリン」の歌詞を調べてみてください。

今回は、リトル・フィートの最初の一歩をご紹介しました。

聴いてみたい!と思われたあなたは、こちらからどうぞ。
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