デビューの瞬間には、さまざまなドラマがちりばめられています!
どんなスーパースターにも、デビューの時がありました。
ここでは、さまざまなアーティストの最初の一歩をご紹介します。
今回は、スライ&ザ・ファミリー・ストーンです。
これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。
それでは、どうぞ。
デビューまで
スライ&ザ・ファミリー・ストーンは、アメリカのカリフォルニア州サンフランシスコで結成されたファンク・ロック・バンドです。
中心人物のスライ・ストーンは1943年、テキサス州生まれ。
両親ともに音楽にたずさわっていた関係で、彼も兄弟や友人たちと音楽活動を開始することになります。
少年時代、家族は南部からウエスト・コーストのカリフォルニア州に移住しました。
やがてスライはギター、ベース、ドラムなどさまざまな楽器をこなすようになります。
高校生になると複数のバンドを掛け持ちするまでになりました。
結局、スライはギターをメイン楽器に選びます。
当時としては大変めずらしく、彼は黒人、白人、東洋人の人種混合編成のバンドに参加していました。
スライのフレキシブルな感性は、後のザ・ファミリー・ストーンにも引き継がれていきます。
60年代になると、まだ10代ながらラジオ局のディスク・ジョッキーとして働くことになりました。
彼は人種にこだわらずにソウル・ミュージックだけでなくビートルズやローリング・ストーンズの曲も紹介していきます。
さらに作曲家としても活動。
アーティストのプロデュースも行うなど、サンフランシスコの音楽界では名の知れた存在になっていきました。
スライはこうした「裏方」活動で地位を築きましたが、自分名義の音楽活動も徐々に実を結び始めます。
新しい世界 A Whole New Thing
1966年、スライはバンド「スライ&ザ・ファミリー・ストーン」を結成します。
黒人、白人、さらに男女混合という画期的な編成のバンドでした。
60年代ということを考えると、奇蹟とも言えます。
スライ&ザ・ファミリー・ストーンはマイナーレーベルからシングルを発表、さらにエピック・レコードとの契約を得ることに成功しました。
1967年、彼らのデビューアルバム「新しい世界(A Whole New Thing)」が発表されます。
全曲、スライ・ストーンの作曲で、彼のオリジナリティあふれる才能の断片が早くも見られました。
後の作品にみられるような強烈なファンキーさこそありませんが、激動の時を迎えた音楽界において、ソウルとロックをブレンドしたサウンドは斬新さを感じます。
人種、男女混合編成のユニークさだけではなく、音楽面でも、さまざまなジャンルを融合させた、まさにフュージョンなバンドでした。
残何ながら、アルバムはヒットチャートには登場しませんでした。
彼らの成功は、次作に持ち越されます。
今回は、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの最初の一歩をご紹介しました。
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スタンド! Stand!
1969年に発売された、スライ&ザ・ファミリー・ストーン4作目のアルバムです。
「スタンド!」や「アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイヤー」など、彼らを代表するナンバーが収められました。
シングルとして発売された「エヴリデイ・ピープル」は、ビルボードのシングルチャートで1位を獲得。
彼らの人気は不動のものとなります。
アルバムも勢いにのってアルバムチャートの13位まで上昇しました。
暴動 There’s a Riot Goin’ On
1971年発表の5作目のアルバムです。
このアルバムもスライ&ザ・ファミリー・ストーンの代表作と言われていますが、「スタンド!」とはずいぶん違っています。
バンドらしさは薄まり、スライ・ストーンが一人で作り込んだ、実験的なサウンド。
トータル・アルバムとしての色も濃く、完成された作品です。
スライのベスト盤は持っていたとしても、ぜひ単独で聴いていただきたいアルバムです。
シングル「ファミリー・アフェア」はシングルチャートで1位を獲得。
アルバムの方も、みごと1位を獲得しました。
フレッシュ Fresh
1973年に発表された、スライ&ザ・ファミリー・ストーン6作目のアルバムです。
これも人気の高い作品ですね。
「暴動」で新境地をひらいたスライ・ストーンが、さらにクールなファンク・サウンドを聴かせます。
シングル「一緒にいたいなら」は、ビルボードのシングルチャートで12位の大ヒット。
アルバムも7位を記録しました。