デビューの瞬間には、さまざまなドラマがちりばめられています!
どんなスーパースターにも、新人の時がありました。
ここでは、さまざまなアーティストの最初の一歩をご紹介します。
今回は、ブルース・スプリングスティーンです。
これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。
それでは、どうぞ。
デビューまで
ブルース・スプリングスティーンは1949年、アメリカのニュージャージー州で生まれました。
まだ、古き良き時代の香りが残る空気の中で少年時代を過ごした彼は10代の初め、ロックンロールの洗礼を受けます。
ビートルズやベンチャーズに影響を受け、ギターを手に取ることになりました。
その後はバンド活動を開始。自分で曲も書くようになり、腕を磨いていきます。
しかし、平和な時間は長くは続きません。
やがて時代はベトナム戦争を迎え、彼も徴兵検査を受けることになりました。
検査の結果、ブルースはベトナムに行くことをまぬがれます。
しかし、このときの体験は彼の心に影を落とし、その影響はのちの作品の中にも見受けられます。
1972年、ブルースはバンドとしての活動から、ソロ歌手へと方向性をさだめました。
マネージャーと契約をかわし、レコード会社のオーディションを受けはじめます。
やがてコロムビア・レコードに認められたブルースは、ついにプロデビューを勝ちとりました。
このオーディションのときに書かれた曲「Blinded by the Light(光で目もくらみ)」が、彼のデビューシングルとなります。
アズベリー・パークからの挨拶
デビューアルバム「アズベリー・パークからの挨拶」は、1973年に発表されました。
当時はヒットしませんでしたが、のちに彼が成功をおさめた際、チャートの60位まで上昇します。
このアルバムにおいてのブルースのみずみずしさは魅力的としか言いようがありません。
特徴的なのは、字余り的にくり出される言葉のマシンガンのような歌い方です。
当時、レコード会社は彼を「第2のボブ・ディラン」として売り出しましたが、たしかにディランの影響を感じます。
作品をかさねるごとに洗練されていくブルースですが、初期のこの粗削りさも、おおいに魅力的でした。
また、かざらないブルースの人柄は、一般的な「ロックスター」のイメージとは、かけ離れています。
余談になりますが、シルヴェスター・スタローンの主演映画に「コップランド」という作品があります。
主人公のフレディはアメリカのどこにでも居るような、人生に疲れた男。
そんな彼が部屋でひとりブルース・スプリングスティーンのレコードを聴いている、というシーンがあります。
アメリカ人だったら、これを見てパッと主人公の心情が思い浮かぶという、印象的な場面でした。
そういうアーティストは、日本で言えばだれになるのでしょうか?
今回は、ブルース・スプリングスティーンの最初の一歩をご紹介しました。
このアルバムをAmazon Musicで聴いてみましょう。おまけ ブルース・スプリングスティーン その他のおすすめアルバム3選
明日なき暴走 Born to Run
デビューアルバム「アズベリー・パークからの挨拶」、セカンドアルバム「青春の叫び」につづく3枚目のアルバムで、1975年8月に発売されています。
「明日なき暴走」の大成功により、ブルース・スプリングスティーンは一躍スターの仲間入りを果たしました。
前2作から大きく変わったのが、曲作りです。
具体的な地名が出てくるなど、ある意味ローカル色の強かったこれまでの歌詞の世界観は、より普遍的な言葉に置き換えられました。
音づくりにも変化が見られました。
エコーを利かせたフィル・スペクター風の「ウォール・オブ・サウンド」の影響が強く出ています。
好き嫌いが分かれるところでもあり、人によっては「音がこもって聞こえて、すっきりしない」と、否定的な意見もあります。
コロムビア・レコードは、このアルバムをおおいに宣伝しました。
ジョン・ランドーの「私はロックンロールの未来を見た。その名前はブルース・スプリングスティーンだ」という有名な言葉も宣伝に利用されます。
宣伝が成功し、アルバムは大ヒットしました。ビルボードのチャートで3位まで上昇します。
一種の社会現象となったため、「ブルース・スプリングスティーンは、キャンペーンによって作り上げられたスターだ」という意見も見られるようになります。
しかし、ブルース本人は、まったく浮かれていませんでした。彼は、このコロムビアの宣伝は間違いだったと語っています。
ともかく、「明日なき暴走」は彼の大きな転機となりました。
このアルバムをAmazon Musicで聴いてみましょう。ザ・リバー The River
1980年10月に発売された5枚目のアルバムで、2枚組です。
「ザ・リバー」は、ブルース・スプリングスティーンの等身大の魅力をたっぷりとつめこんだ代表作と言えます。
疾走感あふれるアップテンポの曲から、深い余韻がいつまでも残るスローな曲まで、たっぷり90分楽しめるアルバムです。
バックをつとめるEストリート・バンドとの一体感は、まるでライブアルバムを聴いているよう。
能天気な曲と対照的にシリアスな内容の歌詞も多く、スプリングスティーンの音楽スタイルの完成形となりました。
アルバムはビルボードで4週連続1位を記録。シングル「ハングリー・ハート」もで5位まで上昇、彼の初の大ヒット曲となります。
このアルバムをAmazon Musicで聴いてみましょう。ボーン・イン・ザ・U.S.A. Born in the U.S.A.
7枚目のアルバム「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」は1984年6月に発売されました。
彼の作る曲と歌詞の世界観は、これまでのアルバムの流れを引き継いでいます。
しかし、音づくりは、大きく変わりました。
大胆にシンセサイザーの音が鳴りひびきます。
明るく、ポップになったブルース・スプリングスティーンは、新たなファンを獲得しました。
アルバムはもちろんビルボード1位。彼の最大のヒット作となります。
アメリカ国旗を使ったジャケット写真や、アルバムタイトル曲「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」は曲解されてしまいました。
彼に「タカ派の愛国主義者」というレッテルを貼る人も現れます。
いろんな意味で、お祭り騒ぎのような熱狂をまき起こしたアルバムとなりました。
余談になりますが、「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」と、ほぼ同時期に発売されたプリンスのアルバム「パープル・レイン」は熾烈なチャート争いをくり広げました。
スプリングスティーンのシングル「ダンシング・イン・ザ・ダーク」は、プリンスの「ビートに抱かれて」に阻まれて、1位を逃してしまいます。
ジャンルは違えど、時代を代表するアーティストどうしの一騎打ちでした。
アルバム「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」は最終的に、アメリカで1700万枚、全世界で3000万枚を売り上げています。
このアルバムをAmazon Musicで聴いてみましょう。