【デビュー物語】バディ・ホリー

デビューの瞬間には、さまざまなドラマがちりばめられています!

どんなスーパースターにも、新人の時がありました。

ここでは、さまざまなアーティストの最初の一歩をご紹介します。

今回は、メガネのロックンローラー、バディ・ホリーです。

これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。

それでは、ご覧ください。

少年時代

バディ・ホリーことチャールズ・ハーディン・ホリーは、1936年アメリカのテキサス州ラボック生まれのシンガーソングライターです。

4人兄弟の4番目に生まれた彼は、幼いころからバディと呼ばれていました。

家族は全員が音楽好きで、バディ少年も影響を受けて育ちます。

11歳のとき、彼はピアノのレッスンを始めましたが、挫折してしまいました。

やがてクラスメイトが弾いていたギターに興味を持ち、親にたのんで買ってもらい、兄に教わります。

バディはハンク・ウィリアムスなどのカントリー音楽を好んで聴いていました。

そして15歳のとき、友人のボブ・モンゴメリーとコンビを組んで音楽活動を開始します。

さらに、ソニー・カーティスやジェリー・アリソンなど、学校の仲間たちとも共に演奏していました。

のちに「クリケッツ」と呼ばれるバディのバンドのメンバーたちです。

模索

1952年、友人のジャック・ニールと「バディ&ジャック」、ボブ・モンゴメリと「バディ&ボブ」という具合にコンビ活動を行います。

タレント・コンテストなどに挑戦して活動の幅を広げていきました。

このころ、バディは以前から好きだったカントリー音楽に加えて、ラジオから流れてくるリズム&ブルース音楽にも興味を持ち始めます。

そして、この2種類の音楽をうまく融合させて新しい音楽を作り出せないかと模索しました。

1955年、高校を卒業。彼はプロのミュージシャンとしてやっていくことを決意します。

エルヴィスとの出会い

音楽界に衝撃が訪れます。エルヴィス・プレスリーの登場でした。

ライブを観たバディは興奮します。まさに、新しい音楽との出会いでした。

1856年、バディはエルヴィスの前座を務めることになります。

バンドの編成は、ベースにラリー・ウェルボーン、ドラムにジェリー・アリソンでした。

このころから、彼の音楽性はカントリーからロックンロールへと変化していきます。

そしてチャンスが訪れました。

テネシー州ナッシュビルの音楽スカウトに彼らの音楽が認められたのです。

デッカ・レコードとの契約が決まり、バディたちは初めての本格的なレコーディングに臨むことになりました。

デッカ・レコード

レコーディングではバディの意見が取り入れられず、満足な出来ではありませんでした。

デッカからバディは2枚のシングル・レコードを発表しますが、どちらもヒットには至りません。

結局、1957年にデッカとの契約は終わりを告げます。

バディはあらためて、自身の音楽を練りなおしました。

プロデューサーのノーマン・ペティのスタジオでセッションを行い、今までよりもギターのサウンドを前面に押し出した新しい音楽を仲間たちとともに創り上げていきます。

ザットル・ビー・ザ・デイとクリケッツ

このセッションで、以前デッカでレコーディングしていた「ザットル・ビー・ザ・デイ」という曲を新しいサウンドで再レコーディングしました。

これが気に入られて、ブランズウィック・レコードから発売されることになります。

しかし、デッカ・レコードとの契約の関係上、この曲をバディ・ホリーの名義で出すことはできませんでした。

そこでドラムのジェリー・アリソンが急遽「クリケッツ」というバンド名を考え、この名義で発表されます。

そして「ザットル・ビー・ザ・デイ」は大ヒット。シングルチャートで1位に上り詰めます。

さらに、イギリスでも3週間1位となりました。

The ” Chirping” Crickets

この曲の大ヒットにより、バディ・ホリーはロックンロールの人気スターとなります。

彼らのギター2人とベースそしてドラムという編成はビートルズも受け継ぐなど、のちに与えた影響は計り知れません。

「The “Chirping” Crickets」は1957年に発表されたクリケッツのデビューアルバムで、「ザットル・ビー・ザ・デイ」が収録されています。

今回は、バディ・ホリーの最初の一歩をご紹介しました。

聴いてみたい!と思われたあなたは、こちらからどうぞ。
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