【デビュー物語】クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル

デビューの瞬間には、さまざまなドラマがちりばめられています!

どんなスーパースターにも、新人の時がありました。

ここでは、さまざまなアーティストの最初の一歩をご紹介します。

今回は、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルです。

これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。

それでは、どうぞ。

デビューまで

クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(以下CCR)は、アメリカのロックバンドです。

カリフォルニア州のバンドですが、さわやかなウエストコースト・ロックという雰囲気ではなく、南部系の泥臭いサウンドが持ち味でした。

中心人物はジョン・フォガティ。彼は1945年生まれで、幼いころからブルースなどの黒人音楽に親しみます。

ベンチャーズに影響を受けてギターを始めた彼は、10代の頃に学校の仲間とバンドを結成、これが後のCCRとなりました。

ザ・ブルー・ベルベッツ、ザ・ゴリウォッグスと、バンド名は変遷していきます。

一時期、ジョンは軍隊に入って音楽活動を中断しました。

紆余曲折の末、彼らはレコード会社との契約を経て、1968年ついにCCRと名乗るようになります。

その時彼らは、すでに10年近いキャリアがあったわけですから、「CCRとしてデビューした」と言うのは少しニュアンスがちがいますね。

ギター、ボーカルのジョンがバンドの実権を握っていたわけですが、彼の音楽性は非常にバラエティにとんでいました。

ブルース、R&Bなどの黒人音楽から初期のエルヴィス・プレスリー風のロックンロール。

そしてハンク・ウィリアムスをほうふつとさせるようなカントリー&ウエスタンまで。

もちろん、ビートルズからの影響も見逃せません。

CCRとしての活動期間は約4年間ですが、面白いことに初期はブルース色が濃く、後期にいくにしたがってカントリーの味わいが増していきます。

しかし、一貫していたのは才能あふれるジョン・フォガティの作る楽曲のよさと、ソウルフルなボーカルでした。

実際、彼らの音楽を聴いた人が、黒人シンガーと勘違いする、ということも起きます。

まだ、現在のように情報がたやすく手に入るような時代ではなかったため、想像と実際のギャップによる食い違いも発生しました。

当時、日本のレコード会社の宣伝担当は、CCRをニュー・ロック(日本独自の表現で60年代後半に登場したプログレやハードロック系のロック)のバンドとして紹介したのです。

実際の彼らは真逆の、(良い意味での)オールド・ロックだったのですが。これも、時代を考えると仕方のないことでした。

CCRは活動末期の1972年に来日公演も行っています。

ハードロック大流行の時期ということもあり、日本のファンはCCRもハードな曲を演奏するロックバンドと期待して観に行きます。

ところが始まってみると、ハードロックではなくカントリーロックを演奏するバンドでした。

また、これは日本だけを差別したわけではないのですが、公演時間は1時間弱、アンコールも無しということで、がっかりしたファンも多かったようです。

スージー・Q Creedence Clearwater Revival

1968年に発表されたCCRのデビューアルバム「スージー・Q」。

タイトル曲「スージー・Q」は彼ら初のヒット曲となりました。

ジョン・フォガティのオリジナルではなく、デール・ホーキンスという人の50年代の曲です。

この曲は8分を超える大作で、シングル・レコードではA面とB面に分けて収録されていました。

アメリカのヒット・チャートでは11位まで上昇します。

アルバムにはカバー曲とジョン・フォガティのオリジナル曲が収められていました。

ジョンの曲は、まだCCRと名乗る前の時代にすでに書かれていたものです。したがって、彼のポップな曲を作る才能はまだ完全には開花していません。

しかし、このアルバムには後の大ヒット・アルバムと比べても負けない不思議な魅力があります。

ジョン・フォガティのボーカル・スタイルはすでに完成されていますし、彼のギター・プレイも強烈でした。

もしかして、かなり過小評価されているギタリストかもしれません。

アルバムはビルボードで52位という結果でしたが、その後も売れ続け、最終的には100万枚を売り上げました。

この作品は、CCRのポップさではなくブルージーな部分が好きなファンにとっては、彼らの最高傑作と言えます。

今回は、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの最初の一歩をご紹介しました。

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おまけ クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル その他のおすすめアルバム3選

バイヨー・カントリー Bayou Country

1969年1月に発売された2枚目のアルバムです。

シングル「スージー・Q」で一定の成果をおさめたCCRでしたが、まだまだ大成功とはいえず、ジョン・フォガティは苦悩していました。

まだ若かった彼らでしたが、すでに10年近い下積みがあり、この世界のきびしさを知っていたからです。

ジョンは、軍隊生活を終えて解放されたときのことを思い出し、曲を書き始めました。

そして名曲「プラウド・メアリー」が誕生したのです。

いちど聴いたら忘れられないイントロのギターは、彼が好きだったベートーヴェンの交響曲第5番から着想を得たものでした。

この曲は大ヒットし、ビルボードのシングルチャートで2位を獲得。彼らの成功はゆるぎないものになったのです。

アイク&ティナ・ターナーのカバーでも人気を博しました。

「プラウド・メアリー」は、ジョン生涯の代表曲となり、この曲が収録されたアルバム「バイヨー・カントリー」もアルバムチャートで7位まで上昇します。

しかし、この時すでにメンバーは、ジョンのワンマン体制に不満を持っていました。

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ウィリー・アンド・ザ・プア・ボーイズ Willy and the Poor Boys

CCRは1969年に、なんと3枚ものアルバムを発売しました。

もちろん、そういう契約をレコード会社と結んでいたからなのですが、彼らの絶頂期のいきおいが感じられます。

さらにCCRはシングル・ヒットも連発しています。特徴的なのは、カップリング曲もチャートインさせていることでした。

ふつう、カップリング(レコードでいえばB面)には、アルバム収録曲から漏れた曲が収録されることが多いです。

しかしCCRは、カップリングにも強力な曲を揃えました。これはジョン・フォガティの曲作りの才能が存分に発揮されていたからこそです。

「ウィリー・アンド・ザ・プア・ボーイズ」は、1969年10月に発売されたCCR4枚目のアルバムです。

ジャケット写真には、路上で演奏する彼らが写されていました。これは、自らを「ウィリー・アンド・ザ・プア・ボーイズ」という架空のバンドに見立てる、というアルバムのコンセプトによるものです。

オリジナル曲もすばらしいですが、聴きどころはトラディショナル・ソング「コットン・フィールズ」と、「ミッドナイト・スペシャル」です。

ブルースやフォークソングに根差した彼らの音楽性が楽しめるアルバムとなっています。

ビルボードのアルバムチャートでは3位まで上昇しました。

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ペンデュラム Pendulum

1970年12月に発売された6枚目のアルバムです。

音楽的には、これまでギター中心だった音作りから、キーボードやサックスなどを加えていて、雰囲気はだいぶ変わりました。

レコーディングにも時間を費やしていて、彼らが新たなサウンドを模索していたことがうかがえます。

このアルバムには、CCRを代表する曲のひとつである「雨を見たかい」が収録されています。

この曲にもキーボードが印象的に使われていました。

「ペンデュラム」は、ビルボードのアルバムチャートで5位の成績をおさめます。

CCRは、成功と同時にメンバー間の不和を抱えていたバンドでした。このアルバム発表後、リズム・ギターのトム・フォガティが脱退します。

結局、カントリー色を深めた、次のアルバム「マルディ・グラ」をもって、CCRは解散することになりました。

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