デビューの瞬間には、さまざまなドラマがちりばめられています!
どんなスーパースターにも、新人の時がありました。
ここでは、さまざまなアーティストの最初の一歩をご紹介します。
今回は、ダリル・ホール&ジョン・オーツです。
これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。
それでは、どうぞ。
デビューまで
ダリル・ホール&ジョン・オーツは、アメリカのポップ・ロック・デュオです。
リードボーカルのダリル・ホールは1946年、ペンシルベニア州生まれ。
両親とも音楽家という環境に恵まれていた彼は、ソウルやリズム&ブルースなどの黒人音楽を好んで聴いていました。
やがてフィラデルフィアにあるテンプル大学で音楽を専攻することになります。
ギターとボーカルのジョン・オーツは1948年、ニューヨーク生まれ。
少年時代から音楽に親しみ、ギターを始めます。バンド活動にも励みながら高校時代はレスリング・チームのキャプテンとして活躍します。
このレスリングによる奨学金を得てテンプル大学に進学しました。
1967年、二人は出会います。
学業の傍らに活動していたお互いのバンドで、ダンス・パーティーの最中でした。
話をしているうちに同じテンプル大学の学生と知った2人は親しくなります。
当時、ダリルはテンプトーンズ、ジョンはマスターズというバンドに所属していました。
ところが、1968年に事態が急変します。
どちらのバンドも解散してしまい、しばらく独自に自分の音楽の道を探求することになるのでした。
やがてダリルは「ガリバー」というバンドに参加、大学は中退します。
ジョンも大学を転校したのち、ヨーロッパ放浪の旅に出かけました。
やがてダリルのバンド「ガリバー」は解散。
そしてジョンはヨーロッパ放浪の旅から帰国します。
再び出会った2人は、一緒に活動することを決め、演奏活動を始めました。
ついに、後に最も成功したデュオと言われることになるダリル・ホール&ジョン・オーツが結成されたのです。
1970年の冬のことでした。
しばらく地道な活動を続けたのち、2人はついにアトランティック・レコードとの契約に成功します。
ホール・オーツ Whole Oats
そして1972年、記念すべきデビューアルバム「ホール・オーツ」が発表されました。
Hall Oates と Whole Oats(オーツ麦)を引っかけた下手なシャレとアルバムジャケットはご愛敬ですが、内容は充実しています。
後の彼らのポップなサウンドとはずいぶん違っていて、フォーク・ソングやフィラデルフィア・ソウルの風味が漂うアコースティックなナンバーが並んでいました。
ストリングスを用いたアレンジも素晴らしいです。
残念ながら本作はヒットには至らず、彼らが成功を収めるにはまだしばらくの時間を要しました。
ダリル・ホール&ジョン・オーツはアトランティックから計3枚のアルバムを発表しますが、これら初期のアルバムのファンも多く存在しています。
ソウル、リズム&ブルースの名アルバムを多く発表しているアトランティック・レコードによって製作された、という点も寄与していました。
今回は、ダリル・ホール&ジョン・オーツの最初の一歩をご紹介しました。
アルバムをAmazon Musicで聴いてみましょうおまけ ダリル・ホール&ジョン・オーツ その他のおすすめアルバム
アバンダンド・ランチョネット Abandoned Luncheonette
1973年に発売された、アトランティックからの2枚目のアルバムです。
名バラード「追憶のメロディ」が収録されています。
「追憶のメロディ」は1972年にシングルとして発売されましたが、当時はヒットに至りませんでした。
のちに再発売された際は、ビルボードのシングルチャートで7位と、大ヒットになります。
前述の通りアトランティックの作品です。なので、のちに発売された彼らのベストアルバムには収録されていませんので、ご注意ください。
アルバムはビルボードのアルバムチャートで33位を記録しています。
H2O
1982年にRCAレコードから発売された、通算11枚目のアルバムです。
この作品は、ダリル・ホール&ジョン・オーツのアルバムの中でも、最大のヒットを記録しました。
「マンイーター」は、ビルボードのシングルチャートで1位を獲得しています。
モータウンのビートを使った軽快な曲で、彼らの代表曲の一つとなりました。
アルバム自体も、惜しくもナンバーワンには届きませんでしたが、ビルボードのアルバムチャートで3位となっています。