【デビュー物語】ダイアー・ストレイツ

デビューの瞬間には、さまざまなドラマがちりばめられています!

どんなスーパースターにも、新人の時がありました。

ここでは、さまざまなアーティストの最初の一歩をご紹介します。

今回は、個性的なサウンドで一世を風靡したバンド、ダイアー・ストレイツです。

これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。

それでは、ご覧ください。

マーク・ノップラー

ダイアー・ストレイツは1976年にイギリスで結成されたロックバンドです。

中心人物のマーク・ノップラーは1949年、スコットランドンドのグラスゴー生まれ。

彼が7歳のとき、一家はグラスゴーを離れてイングランドのニューカッスルに移りました。

音楽好きだった叔父に影響をうけて、マークも父親にせがんでギターを買ってもらいます。

彼はさまざまなジャンルの音楽を吸収していきました。

バンド開始

60年代に入ると、マークはバンド活動を開始します。

エルヴィス・プレスリーをはじめとするロカビリー、B.B.キングなどのブルース、そしてジャズまで、彼が好んだ音楽は多岐にわたりました。

大学生になると、勉強にも精を出すかたわら、ますます音楽にのめり込んでいきます。

作曲も始め、いくつかのバンドを掛け持ちして活動をつづけていきました。

1973年、大学を卒業したマークはロンドンに活動の拠点を移します。

以後、教師の仕事をしながら、並行して音楽活動に情熱を燃やしていきました。

悲惨な状況

マーク・ノップラーのギタープレイの特徴として、ピックを使わずに指で弦をはじいて演奏するフィンガー・ピッキングが挙げられます。

これは、ある時手元にあったアコースティック・ギターが古くて歪んでいる状態で、弦も細く指で弾くしか音を出せない、ということから思いついた演奏でした。

このとき、マークの中に「これだ!」というひらめきが走ったのです。

70年代なかば、マークはカフェ・レーサーズというバンドで活動していました。

マークはボーカルとリードギター、マークの弟デヴィッド(1952年生まれ)がリズムギターでした。

さらに、ベースのジョン・イルズリー、ドラムのピック・ウィザースが加わります。

バンドはやがてダイアー・ストレイツ(悲惨な状況)と名前を変えました。

本業を持ちながら、稼いだお金をすべて音楽活動につぎ込んで、貧乏な暮らしをしていた当時のメンバーを自虐的に皮肉ったものです。

悲しきサルタン

1977年、バンドは「悲しきサルタン」などの曲のデモテープを制作、配布活動を行いました。

やがて、それがあるディスク・ジョッキーに気に入られ、ラジオで「悲しきサルタン」が流されることになります。

それがもとで、ダイアー・ストレイツはフォノグラム傘下のヴァーティゴ・レコードと契約を結ぶことができました。

彼らのデビューシングル「悲しきサルタン(Sultans of Swing)」は、1978年5月に発表されます。

しかし、当初はヒットしませんでした。

Dire Straits

同年7月、デビューアルバム「悲しきサルタン(DIre Straits)」が発表されます。

そして異変が起きました。

「悲しきサルタン」がラジオでさかんに放送されて火が付き、ヨーロッパ各国でアルバムが大ヒットしたのです(イギリス5位、アメリカ2位)。

それを受けて1979年1月に「悲しきサルタン」のシングルレコードが再発売されました。

結果、時間はかかりましたが、3月にイギリスで8位、4月にアメリカで4位となる大ヒット。

この曲は、ダイアー・ストレイツの代表曲となります。

その後、彼らは80年代を代表するバンドとなってゆくのでした。

今回は、ダイアー・ストレイツの最初の一歩をご紹介しました。

聴いてみたい!と思われたあなたは、こちらからどうぞ。
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