【デビュー物語】ジェームス・ブラウン

デビューの瞬間には、さまざまなドラマがちりばめられています!

どんなスーパースターにも、デビューの時がありました。

ここでは、さまざまなアーティストの最初の一歩をご紹介します。

今回は、ソウル・ブラザー・ナンバー・ワン、ジェームス・ブラウンです。

これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。

それでは、ご覧ください。

少年時代

ジェームス・ブラウンは1933年(諸説あり)アメリカ、サウスカロライナ州生まれのソウル・シンガーです。

ジェームスの幼少期、家族はジョージア州オーガスタに移住しました。

彼が4歳の時に両親が離婚、貧しい少年時代を送ることになります。

少年ジェームスの慰みになったのは、音楽でした。

彼は地元の歌唱コンテストで優勝するほど、歌手としての素質を持っていたのです。

10代になると彼はピアノやギターなどの楽器も学び始めます。

やがてライブハウスでの演奏、教会でのゴスペル音楽の歌唱などを行うようになりました。

まだこの時は音楽一本ではなく、プロ・ボクサーや野球選手なども目指していました。

しかし、貧しさによりジェームスは、次第に非行に走るようになっていきます。

服役

15歳の時でした。彼は他人の車の中から服を盗み出そうとしているところを見つかり逮捕されます。

下された判決は、8年から16年の不定期刑でした。

こうして1948年、ジェームスは少年院に送られます。

しかし、少年院にて転機が訪れます。後のパートナーとなるシンガー、ボビー・バードとの出会いでした。

たちまち二人は仲良くなります。ボビーとその家族は、ジェームスの早期釈放を申請するなど大いに協力しました。

まじめな服役態度とボビーの家族の努力によって、ジェームスは1952年に少年院を出所します。

フェイマス・フレイムズ

出所したジェームスはすぐに本格的な音楽活動を開始します。まず、ボビー・バードの妹と共にゴスペル・グループに参加。

その後1954年にボビー・バードのリズム&ブルースを演奏するバンドに加入しました。

バンドは何度かの改名ののちフェイマス・フレイムズとなります。

彼らはアメリカ南部の町を演奏活動して回り、少しづつ名前も知られるようになっていきました。

1955年、ジョージア州のメイコンで、ジェームスはロックンロールのスターであるリトル・リチャードと出会います。

ジェームスはリチャードに、レコードデビューするにはどうすればよいか助言を求めました。

リチャードはマネージャーを紹介し、オーディションを受けれるよう手配をしてくれます。

バンドはオーディションに見事合格し、フェイマス・フレイムズはついにデビューすることになりました。

プリーズ・プリーズ・プリーズ

デビュー曲「プリーズ・プリーズ・プリーズ」はリトル・リチャードが紙ナプキンに走り書きしたメモが元になって作られた曲です。

最初は1955年に録音されましたが、彼らがキング・フェデラルレコードと契約してから再録音されたバージョンが1956年に発表され、リズム&ブルースのチャートで6位となる大ヒット。

レコードには「ジェームス・ブラウンとフェイマス・フレイムズ」とクレジットされていました。

以後、バンドは実質ジェームス・ブラウンのバックバンドとなっていきます。

アルバム「プリーズ・プリーズ・プリーズ」は、1958年の年末に発表されました。デビュー曲以降のシングルのA面とB面を収録した作品です。

ソウル界のゴッドファーザーとして君臨したジェームス・ブラウンの初期の代表曲が聴けるアルバムとなっています。

今回は、ジェームス・ブラウンの最初の一歩をご紹介しました。

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