【デビュー物語】プリンス

デビューの瞬間には、さまざまなドラマがちりばめられています!

どんなスーパースターにも、新人の時がありました。

ここでは、さまざまなアーティストの最初の一歩をご紹介します。

今回は、ファンクの貴公子、プリンスです。

これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。

それでは、ご覧ください。

マルチ・プレーヤー

プリンスことプリンス・ロジャーズ・ネルソンは1958年、アメリカのミネソタ州ミネアポリス出身。

ソウル・ミュージシャン、シンガー・ソング・ライターそしてマルチ・プレーヤーです。

両親ともにジャズ・ミュージシャンで、音楽に囲まれた少年時代を過ごしました。

しかし、彼が少年時代、両親は離婚してしまいます。

プリンスは早くから独学でギター、ピアノ、ドラムなどを習得してその才能を発揮していきました。

7歳の時には父親のピアノを使って初の自作曲「ファンク・マシーン」を作ります。

ジェームス・ブラウンのコンサートでステージに上げてもらうという経験もしました。

ミネアポリス・サウンド

ティーン・エイジャーになったプリンスは自らのバンドを結成、早くもデモ・テープの制作に取り掛かることになります。

こうして見ると音楽一筋のようですが、学生時代にはバスケット・ボールをはじめとするスポーツにも励んでいました。

プリンスのバスケット・ボール好きは有名で、コンサートのステージ上でもプレイを披露したほどです。

さらに、ミネアポリスにあるミネソタ・ダンス・シアターにてクラシック・バレエの教育も受けていました。

プリンスのあの独特の動きにも影響を与えていると言えるでしょう。

話は音楽に戻ります。

ミネアポリスは黒人よりも白人が圧倒的に多い地域でした。

その街でプリンスはソウル・ミュージックにとらわれず、白人のロックなどさまざまなジャンルの音楽を分け隔てなく吸収していきます。

やがてミネアポリス・サウンドと呼ばれる、従来のファンク・ミュージックの進化系と言えるシンセサイザーを多用した音楽の元祖として頭角を現すことになりました。

プロへの道

学生時代からバンド活動でファンク・ミュージックを演奏して注目を集めていたプリンスですが、高校を卒業すると本格的にプロとして活動する準備に入ります。

やがて、デモ・テープがいくつかのレコード会社に注目されはじめました。

そしてプリンスは、ワーナー・ブラザースとアルバム3枚の契約を交わすことになります。彼が19歳の時でした。

さらに、彼はアルバムを自分でプロデュースすること、レコーディングも彼1人ですべて行うことの権利も獲得します。

プリンスと言えばワンマン・レコーディングで有名ですが、デビューの時点でそれを成し遂げたというところがすごいことでした。

フォー・ユー

デビューアルバム「フォー・ユー」は1978年に発売。すべて彼の作曲、ボーカル、演奏です。

アルバム全編を通して、プリンスの特徴であるファルセット・ヴォイスが聴けました。

演奏面でのマルチ・プレーヤーぶりは天才的です。

その才能の開花は、まだ完全ではありません。しかし断片的ではありますが、彼の特徴的なサウンドが随所に現れています。

セールス的には大きな成功を収めることはできませんでした。

しかし、このアルバムは彼の伝説の、ほんの序章にすぎなかったのです。

今回は、プリンスの最初の一歩をご紹介しました。

聴いてみたい!と思われたあなたは、こちらからどうぞ。
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