【デビュー物語】サム・クック

デビューの瞬間には、さまざまなドラマがちりばめられています!

どんなスーパースターにも、新人の時がありました。

ここでは、さまざまなアーティストの最初の一歩をご紹介します。

今回は、ソウル・ミュージックを作った男、サム・クックです。

これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。

それでは、ご覧ください。

少年時代

サム・クックことサミュエル・クックは1931年アメリカ、ミシシッピ州クラークスデイル生まれのソウル歌手です。

8人兄弟の5番目として生まれました。

彼の父親は牧師だったため、幼い時から教会音楽に囲まれて育ちます。

1933年、一家はミシシッピ州からイリノイ州シカゴに移住しました。

クックは6歳になると、兄弟でシンギング・チルドレンというグループを結成して歌い始めます。

14歳のとき、ハイウェイQ.C.’sというゴスペル・グループに加入。リード・シンガーとして活動を始めました。

ソウル・スターラーズ

さらに1950年、19歳のときに名門ゴスペル・グループのソウル・スターラーズに迎え入れられます。

実質、ここから彼のプロ活動は始まりました。

ソウル・スターラーズにおいてクックは数多くの曲をレコーディングしています。

彼はたちまち大人気となり、クックを見るために多くの女性がステージに押し寄せることになりました。

ポップス界へ

ゴスペル音楽のグループの一員であるクックが、初めてポップスの曲を発表したのは1956年のことです。

この時彼は「デイル・クック」という変名を使いました。

なぜでしょう?今では想像もつかないことですが、当時、聖なる音楽であるゴスペルの歌手が、世俗的な音楽であるポップスやリズム&ブルース曲を歌うことは許されなかったのです。

クックのポップスへの転向は、彼にとって大きな決断でしたが、その決意は揺るぎませんでした。

自分の歌を、さらに多くの聴衆のもとに届けたいという信念に基づいたものです。

意外なことに、牧師である彼の父親は、この決意を後押しして応援してくれました。

父親の理解は、彼にとって心強い味方となります。

ソウル・スターラーズのレコード会社であるスペシャルティの担当者はクックの方向性について異論を唱え、結局クックはスペシャリティ・レコードを去ることになりました。

ユー・センド・ミー

1957年、彼の新たな門出のときが来ます。

自分の名前Sam Cookの最後に「e」を付けてSam Cookeと改名しました。

これはゴスペル歌手からポップス歌手へと転身するにあたっての彼の決意の表れです。

キーン・レコードと契約したクックはポップス転身後の実質的なデビューシングル「ユー・センド・ミー」を発表しました。

これがなんと、リズム&ブルースチャート、総合シングルチャートの両方で1位となる大ヒット。

いちやくサム・クックは大スターへの仲間入りを果たしたのです。

彼は大きな賭けに勝ちました。

こののち、彼は数多くのヒット曲を放ちます。

サム・クックはそれまでのリズム&ブルースと言われる音楽から、新たにソウル・ミュージックというジャンルを確立した第一人者となりました。

Sam Cooke

サム・クックのデビューアルバム「サム・クック」は1958年にキーン・レコードから発表されました。

大ヒット曲「ユー・センド・ミー」以外にも、オーケストラをバックにしたスタンダード・ナンバーが収録されています。

アルバムチャートでは16位まで上昇しました。

今回は、サム・クックの最初の一歩をご紹介しました。

聴いてみたい!と思われたあなたは、こちらからどうぞ。

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