デビューの瞬間には、さまざまなドラマがちりばめられています!
どんなスーパースターにも、新人の時がありました。
ここでは、さまざまなアーティストの最初の一歩をご紹介します。
今回は、60年代に咲いたエネルギッシュ・バンド、ステッペンウルフです。
これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。
それでは、ご覧ください。
脱出
ステッペンウルフは1967年にロサンゼルスで結成されたロックバンドです。
中心人物のジョン・ケイことヨアヒム・フリッツ・クラウレダットは第二次世界大戦末期の1944年、ドイツの東プロイセン(現在はロシア領)で生まれました。
彼は壮絶な幼年時代を送ります。
父親はヨアヒムの生まれる1か月に死去。1945年の厳寒の中、母親は幼い彼をかかえてソ連軍から逃げ、東プロイセンを脱出します。
その後、しばらく東ドイツのソ連軍占領地域ですごしたのち、1949年に厳しい警戒の中、国境を越えて西ドイツに渡りました。
ハノーファーに居を構え、ようやく安らぎの時をむかえます。
ヨアヒムはアメリカ軍のラジオ局から流れてくる音楽、とくにリトル・リチャードのロックンロールに夢中になりました。
ジョン・ケイ
1958年、一家はカナダのトロントに移住します。
カナダの人は彼の名前をうまく発音できず、いつからか彼は「ジョン(ヨアヒムの英語読み)・K(クラウレダッドの頭文字)」と呼ばれるようになりました。
1963年、家族はアメリカのニューヨークに再移住することになります。
ザ・スパロウズ
ザ・スパロウズは、カナダのブルースロック・バンドです。
ジョン・ケイは1965年にグループに加入。リード・ボーカルとギターを担当しました。
ザ・スパロウズはカナダで成功を収めますが、拠点をアメリカのロサンゼルスに移したのち、1967年に解散します。
しかし、新たな展開が待ちかまえていました。
ワイルドでいこう!
ロサンゼルスにあるダンヒル・レコードのプロデューサー、ガブリエル・メイラーはザ・スパロウズの再結成を計画していました。
ガブリエルの頭の中には、もっとハードなサウンドで行きたい、というアイディアがありました。
バンド名は、作家ヘルマン・ヘッセの小説からとった「ステッペンウルフ」と決めます。
こうして、ザ・スパロウズの解散時のメンバーを中心とした新バンド、ステッペンウルフが誕生しました。
1967年、彼らのデビューシングル「あの娘のおもかげ」が発表されます。しかし、ヒットには至りませんでした。
1968年、デビューアルバム「ワイルドでいこう!ステッペンウルフ・ファースト・アルバム(Steppenwolf)」を発表します。
イージー・ライダー
この中から、セカンドシングル「スーキー・スーキー」に続いてシングルカットされた第3弾シングル「ワイルドでいこう!(Born to Be Wild)」が大ヒット。
ヒットチャート2位まで上昇、100万枚を売り上げました。
1969年の映画「イージー・ライダー」でも使われ、彼らの代表曲となっています。
アルバムも、チャートで6位を記録しました。
ステッペンウルフは、ハードロックやヘヴィメタルの先駆者的存在となったバンドであり、ロックの歴史において欠かすことのできない重要なバンドです。
今回は、ステッペンウルフの最初の一歩をご紹介しました。
聴いてみたい!と思われたあなたは、こちらからどうぞ。