【デビュー物語】オーティス・レディング

デビューの瞬間には、さまざまなドラマがちりばめられています!

どんなスーパースターにも、新人の時がありました。

ここでは、さまざまなアーティストの最初の一歩をご紹介します。

今回は、魂のシンガー、オーティス・レディングです。

これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。

それでは、ご覧ください。

少年期

オーティス・レディングは1941年アメリカ、ジョージア州ドーソン生まれのシンガーソングライターです。

6人兄弟の4番目として生まれました。父親は仕事の傍ら、地元の教会で説教活動をしています。

そのせいでオーティスも少年時代から聖歌隊の一員として歌い始めていました。

ギター、ピアノそしてドラムを学び、10代になると本格的に歌のレッスンも受けるようになります。

学生になるとバンド活動を始め、さらにラジオ局で歌ってギャラを稼ぐようにもなりました。

この時期、彼はロックンローラーのリトル・リチャード、ソウル・シンガーのサム・クックから強い影響を受けています。

特に、リトル・リチャードゆずりの力強い歌唱は、オーティスのスタイルの大きな特徴となりました。

下積み時代

15歳のとき、彼に試練が訪れます。父親が病にかかり、満足に働けない状態になってしまったのです。

オーティスは学校を中退し、働くことになりました。

肉体労働やガソリンスタンドの従業員などをしながら、音楽活動で収入も得るようになっていきます。

クラブでの演奏活動でバンドに加わり、歌手のバックでピアノを弾いたりもしました。

1958年、彼に転機が訪れます。

地元のラジオ局が主催したタレント・コンテストに出演した際、ジョニー・ジェンキンスというギタリストがオーティスに注目したのです。

オーディション

ジョニーはオーティスに、自分と組まないかと提案しました。

オーティスは了承。二人のコンビで、リトル・リチャードの曲を演奏します。

そして、タレント・コンテストで見事、優勝をかっさらってしまったのでした。

彼の歌は評判になり、この後数々のバンドに参加して活動していきます。

1960年、オーティスはジョージア州を離れ、カリフォルニア州ロサンゼルスに活動拠点を移しました。

この頃、初めてレコーディングを経験しています。

1962年、ギタリストのジョニー・ジェンキンズがアトランティック・レコードのオーディションを受けることになりました。

ジョニーは運転免許を持っていなかったため、オーティスが運転してスタジオに同行します。

ジーズ・アームズ・オブ・マイン

ジョニーのオーディションが終わり、みんな解散という直前に、オーティスは自分の歌を披露することを認められました。

2曲演奏したうちの「ジーズ・アームズ・オブ・マイン」が担当者の心を打ち、見事アトランティックとの契約を勝ち取ったのです。

アトランティック傘下のスタックス・ヴォルト・レコードから発表されたシングル「ジーズ・アームズ・オブ・マイン」はリズム&ブルースのチャートで20位となる大ヒット。

80万枚を売り上げました。

これ以降、彼の人気はどんどん高まり、ソウル界を代表するスターになってゆくのでした。

「ジーズ・アームズ・オブ・マイン」は彼の代表作であり、魂のこもった歌唱は不滅です。

ペイン・イン・マイ・ハート

彼のデビューアルバム「ペイン・イン・マイ・ハート」は1964年に発表されました。

「ジーズ・アームズ・オブ・マイン」はもちろん、影響を受けたリトル・リチャードやサム・クックのカバー曲も収録されています。

リズム&ブルースのアルバムチャートでは20位まで上昇しました。

今回は、オーティス・レディングの最初の一歩をご紹介しました。

聴いてみたい!と思われたあなたは、こちらからどうぞ。
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