デビューの瞬間には、さまざまなドラマがちりばめられています!
どんなスーパースターにも、新人の時がありました。
ここでは、さまざまなアーティストの最初の一歩をご紹介します。
今回は、モータウンを代表するシンガー、マーヴィン・ゲイです。
これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。
それでは、ご覧ください。
少年時代
マーヴィン・ゲイは1939年、アメリカのワシントンD.C.出身のシンガーソングライターです。
決して裕福とは言えない家庭環境でした。
しかし、少年時代から音楽に親しみ、教会でゴスペル音楽を歌うことに喜びを感じます。
彼は10代になると、バンドを組んで地元のクラブなどで歌うようになりました。
ドゥーワップのグループにも加入して、徐々に音楽の才能を開花させていきます。
軍隊へ
1956年、17歳のマーヴィンは高校を中退。空軍に入隊します。
しかし軍隊での生活は彼にとって良いものではありませんでした。やがて失意のうちに除隊します。
除隊したマーヴィンは、友人とともにマーキーズというボーカル・グループを結成しました。
このころ、ロックンローラーのボ・ディドリーとも共演しています。彼は、自分で曲も作り始めました。
マーキーズは注目を集め始めましたが、発表したレコードは失敗。
レコード会社との契約も行き詰ってしまいます。
1960年、グループは解散。マーヴィンはミシガン州デトロイトに移りました。ドラマーとしてセッション・ミュージシャンの活動を開始します。
モータウン
結局、デトロイトに移住したことで彼の運は開くことになりました。
デトロイトにあるモータウン・レコードの社長、ベリー・ゴーディ・ジュニアが彼の才能を認め、ソロ歌手としてデビューさせることを決めたのです。
モータウンの子会社、タムラ・レコードとの契約でした。
そして1961年、マーヴィンのデビューシングル「レット・ユア・コンシャス・ビー・ユア・ガイド」が発表されます。
しかし、全くヒットしませんでした。
しばらく、彼は歌手でありながらセッション・ミュージシャンとしてドラムを演奏することになります。
ソウルフル・ムード
この時期の彼の曲を聴くと、のちのダイナミックなパフォーマンスのソウル・シンガーというイメージのマーヴィン・ゲイとは180度違います。
彼はジャズとスタンダード・ソングを歌う大人の歌手として成功したいと考えていたのです。
デビューアルバム「ソウルフル・ムード」も全編、この路線でした。
このアルバムは成功せず、彼は自分の理想とモータウンの売り出し方とのギャップに悩むことになります。
結局、マーヴィンはリズム&ブルース路線に転向し、大ヒットを連発。そしてモータウンを代表するアーティストになってゆくのでした。
今回は、マーヴィン・ゲイの最初の一歩をご紹介しました。
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