【ようこそブルースへ】ブラインド・レモン・ジェファーソン

ブルースには、音楽の魅力のすべてが詰まっています!

ブルースは現在主流のロック、ポップスなどの音楽のルーツとして、永遠に色あせない魅力を持っています。

ここでは、素晴らしいブルース・ミュージシャンたちをご紹介します。

今回は、ブラインド・レモン・ジェファーソンです。

これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。

それでは、どうぞ。

ブラインド・レモン・ジェファーソンは1893年生まれ(諸説あり)のブルース・シンガー、ギタリストです。

アメリカのテキサス州クーチマンに生まれた彼は生まれながらの盲目でしたが、10代の頃にギターを始め、独学で習得しました。

やがてジェファーソンはストリート・ミュージシャンとして街角で演奏し始めます。

パーティ会場などで一晩中演奏することもざらでした。

こうして、彼の実力はみるみる上がっていきます。

しばらくするとジェファーソンは、ダラスまで赴き演奏するようになりました。

ダラスで、後に大物ブルース・ミュージシャンとなる、レッドベリーとTボーン・ウォーカーに出会います。

ジェファーソンはふたりにギターの手ほどきをしました。

彼らは演奏旅行で各地を転々とします。

ジェファーソンを語るうえで「旅」は欠かせないものであり、旅こそが彼の人生のキーワードでした。

彼は音楽で生計を立てれるようになり、結婚して子供も授かります。

ジェファーソンの時代には、まだレコーディング活動をして成功したブルースメンはいませんでした。

実質、ブラインド・レモン・ジェファーソンはレコードを作り、売ってそれで生計を立てたブルース歌手第1号と言えます。

成功

1925年、ジェファーソンはシカゴに赴きました。

そこで人生初めてのレコーディングを経験します。

この時のレコードはブルースではなく、彼にとっては満足のいくものではありませんでした。

翌1926年になって、ようやく本来のブルースをレコーディングできるようになります。

この時点でジェファーソンの残りの人生は3年間です。

しかし、それまでに彼は成功と、後世に名を遺す活動を成し遂げました。

ほどなくして「ロング・ロンサム・ブルース」や「マッチボックス・ブルース」などが大ヒット。

10万枚を売り上げたレコードもありました。

人気も抜群で、金銭的にも恵まれた生活を送るようになります。

代表曲のひとつ「僕の墓をきれいにして」は、ボブ・ディランがデビューアルバムで取り上げました。

彼の曲を聴くと、まずその声量に驚かされます。

その昔、デルタ地帯の綿花畑で労働者が働きながら歌っていた労働歌「フィールド・ハラー」。

そのことを思い起こさせる彼の歌唱は、まさにブルースそのものでした。

ギターのテクニックも洗練されています。メロディアスで変幻自在。歌の伴奏というよりもリードギターを弾きながら歌っているようです。

古い録音なので音質も良くないですが、聴いているうちにそんなことが気にならなくなるような不思議な魅力に満ちていました。

彼の残っている写真は1枚だけですが、その写真で見れる姿と同様に、彼の生涯もまた、ミステリアスなものです。

今回は、ブラインド・レモン・ジェファーソンをご紹介しました。

Amazon Musicで聴いてみましょう。
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!