【ようこそブルースへ】マジック・サム

ブルースには、音楽の魅力のすべてが詰まっています!

ブルースは現在主流のロック、ポップスなどの音楽のルーツとして、永遠に色あせない魅力を持っています。

ここでは、素晴らしいブルース・ミュージシャンたちをご紹介します。

今回は、シカゴ・ブルースの伝説、マジック・サムです。

これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。

それでは、ご覧ください。

シカゴへ

マジック・サムことサミュエル・ジーン・マゲットは1937年(諸説あり)、アメリカのミシシッピ州グレナダ生まれのブルース・シンガー、ギタリストです。

1950年、一家はイリノイ州シカゴに移住しました。

サムはマディ・ウォーターズやリトル・ウォルターらの音楽を聴いて、ブルースの世界の住人となります。

ブルース・ミュージシャンであるシル・ジョンソンにギターを教わったサムは、やがてバンドを組んで演奏活動をはじめました。

このころのシカゴは、南部のデルタ地域から北上してきた泥臭いブルースと、都会の洗練されたブルースが合体した新生シカゴブルースの聖地となっていました。

ブルースにエレキ・ギターが導入されるようになったのも大きな出来事です。

シカゴのウエスト・サイドにあるクラブで演奏するようになったサムは、そのギター・プレイとボーカルによって、人気を博していきました。

コブラ時代

1957年、サムはコブラ・レコードと契約し、シングル・レコードを発表することになりました。

この当時はグッド・ルッキング・サムという芸名でしが、その名前はすでに使われていたため、レコーディングに際してマゲット・サムをもじった「マジック・サム」という名前に変えます。

ヒット曲は出ませんでしたが、この当時コブラ・レコードに在籍していたオーティス・ラッシュやバディ・ガイとともに、マジック・サムのブルースは大いに注目されました。

その地域の名前からウエスト・サイド・ブルースと呼ばれ、ひとつのムーブメントを築きます。

しかし、1959年、コブラ・レコードは倒産してしまいました。

さらに彼に兵役の命令が下されます。

サムは陸軍に入隊しましたが、その生活になじむことができずに、軍を脱走してしまいました。彼は逮捕され、半年間刑務所に服役したのち、除隊します。

ウエスト・サイド・ソウル

1960年、音楽活動を再開したサムは、何枚かシングル・レコードを発売するなどして地道にファンを増やしていきました。

そして1967年、デルマーク・レコードと契約します。

ついにサムは、デビューアルバムを発表する機会を得たのでした。

デルマークから発売されたアルバム「ウエスト・サイド・ソウル」は、ブルースを語るうえで避けては通れない名盤となっています。

オリジナル曲は無く、すべてカバー曲ですが、その斬新さ、情熱的な演奏は群を抜いていました。

伝統的なシカゴ・ブルースへの尊敬は忘れず、そこからさらに進歩したモダンなブルースというものを見せてくれます。

「スウィート・ホーム・シカゴ」もオリジナルではありませんが、彼のバージョンで世界的に有名になりました。

この後のマジック・サムですが、1968年にセカンドアルバム「ブラック・マジック」を発表。これが生前最後のアルバムとなっています。

1969年に行われた、アン・アーバー・ブルース・フェスティヴァルにも出演。

さらなる活躍が期待されていましたが、心臓発作のため若くしてこの世を去りました。

マジック・サムの音楽は、モダン・ブルースのひとつの完成形として、後世に残るものになっています。

今回は、マジック・サムをご紹介しました。

聴いてみたい!と思われたあなたは、こちらからどうぞ。
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