【ようこそブルースへ】ジャニス・ジョプリン

ブルースには、音楽の魅力のすべてが詰まっています!

ブルースは現在主流のロック、ポップスなどの音楽のルーツとして、永遠に色あせない魅力を持っています。

ここでは、素晴らしいブルース・ミュージシャンたちをご紹介します。

今回は、ジャニス・ジョプリンです。

これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。

それでは、どうぞ。

少女時代

ジャニス・ジョプリンは1943年、アメリカ、テキサス州生まれの女性シンガーです。

絵を描くのが好きで聡明な女の子でしたが、保守的な環境になじめない奔放な一面もありました。

小さいころから音楽に親しんでいた彼女は、ティーンエイジャーになるとベッシー・スミスやレッドベリーなどのブルース・シンガーに夢中になります。

高校の友達とグループを組んで、フォーク・ソングやブルースを歌うようになりました。

高校生時代から、「ビート・ジェネレーション」と言われる既成の価値観に従わない、自由な人々の影響を受けていた彼女は、学校にもなじめず悶々とした日々を送ります。

ジャニスはテキサスの大学に進学しましたが、すぐに浮いた存在になってしまい、結局退学することに。

サンフランシスコへ

1963年、ジャニスはテキサスを離れ、やがてヒッピー・ムーブメントの中心地となるカリフォルニア州のサンフランシスコへとヒッチハイクで旅立ちます。

彼女は歌手としての活動を始めますが、やがて体調を崩し、一旦テキサスに戻って療養しました。

地元で歌手活動をしていたジャニスのもとに、ある時大いなる飛躍のチャンスが訪れます。

当時まだ無名のサイケデリック・ロック・バンド、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーは、サンフランシスコを活動拠点としていました。

バンドは女性ボーカリストを探していましたが、ちょうどその時スタッフがテキサスで演奏する彼女に着目したのです。

ジャニスはスカウトに応じて、再びサンフランシスコに向かうことになりました。

ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー

彼女が加入してインディーズのレーベルからデビューアルバムを発表したビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーですが、反響はいま一つでした。

しかし、時代はまさにサイケデリック・ロックの全盛期。バンドは1967年に行われたモントレー・ポップ・フェスティバルに出演することになります。

そこでジャニスが歌ったブルースナンバー「ボール・アンド・チェイン」は観客の度肝を抜きました。

そのパワフルでブルージーな歌声で、ジャニス・ジョプリンは一躍注目される存在になったのです。

そしてコロムビア・レコードから1968年に発表されたセカンド・アルバム「チープ・スリル」は、アルバムチャートで8週連続1位、売り上げ200万枚の大ヒット。

シングル「心のかけら」も12位まで上昇しました。

ソロとして

しかし大成功を収めた直後、ジャニスはビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーを脱退します。

ソロ・アーティストとして、ソウル・ミュージック形式のバンドを組みたい、という理由からでした。

以降、ジャニスはソロとして活躍します。

60年代、鮮烈なデビューを果たして慌ただしく去っていったジャニスですが、その歌いっぷりから豪放磊落な印象を持つかたもいらっしゃるでしょう。

しかし、素顔の彼女はシャイな性格だったと、家族は記しています。

現在も私たちを引き付けて離さない魅力を持ったジャニスは、ブルース界の数々の名歌手に連なって名を遺した星になりました。

今回は、ジャニス・ジョプリンをご紹介しました。

Amazon Musicで聴いてみましょう。
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