【ようこそブルースへ】マディ・ウォーターズ

ブルースには、音楽の魅力がすべて詰っています!

ブルースは現在主流のロック、ポップスなどの音楽のルーツとして、永遠に色あせない魅力を持っています。

ここでは、素晴らしいブルース・ミュージシャンたちをご紹介します。

今回は、マディ・ウォーターズです。

これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。

それでは、どうぞ。

泥水

マディ・ウォーターズこと、マッキンレー・モーガンフィールドは1913年、アメリカのミシシッピ州生まれです。

伝説のブルース歌手ロバート・ジョンソンらにあこがれて、演奏活動を始めました。

彼は子供のころからマディと呼ばれていましたが、やがて学校の友達にウォーターズを付け足され、マディ・ウォーターズとなります。

ミシシッピ州は前述のロバート・ジョンソンをはじめチャーリー・パットン、サン・ハウスなど、いわゆるデルタ・ブルースと言われる20年代頃のブルースメンが活躍した地域でした。

マディも、このブルースの本場とも言える地域でブルース・シンガー、そしてギタリストとしての腕を磨いていきます。

シカゴへ

マディのギターと言えば、ボトルネック奏法が有名でした。

スライドバーと呼ばれる器具を左手の指にはめ、弦の上をすべらせて、泣き声のような特徴的な音を出す奏法です。

エレクトリック・ギターでのボトルネック奏法は、マディの音楽の大きな特徴となっていました。

さて、デルタ地域のアメリカの黒人たちは、食べていくために(または南部ならではの迫害から逃れて)一か所に定住せず、さまざままに移住してまわります。

ブルースメンも例外ではありません。

旅から旅、仕事を求めてデルタ地域を出たミュージシャンは、アメリカの様々な地に移り住むようになりました。

この、30年代から50年代にかけての黒人たちの農村部から都市部への移住は、音楽の歴史にも、大いなる影響を及ぼすことになるのです。

そしてマディ・ウォーターズも活動の場を求めて1943年、ミシシッピ州からイリノイ州シカゴに進出しました。

シカゴ・ブルースの完成

もちろん、シカゴには元から活動しているブルースメンが居て、彼らは都会的な洗練されたブルースを演奏しています。

最初の頃はマディもそれに倣ってクールなブルースを演奏していたのですが、1949年頃、一大革命がおこりました。

マディたち革命組は、ドラム以外の楽器をすべてアンプにつないで、生まれ故郷の泥臭いデルタ・ブルースをエレクトリック・サウンドで演奏し始めたのです。

斬新なスタイルは、まさにその後のロック・バンド編成の原型となるものでした。

ギターもアコースティック・ギターからソリッド・ボディのエレクトリック・ギターに代わっていきます。

こうして、マディ・ウォーターズは新生シカゴ・ブルースの代表ミュージシャンとなったのでした。

50年代にマディのブルースは全盛期を迎え、またシカゴはブルースの聖地と言われるようになります。

継承

50年代も半ばになると、マディに影響を受けた下の世代も育ってくるようになりました。

いわば、マディ学校の生徒たちです。

ロックン・ロールの創始者のひとりであるチャック・ベリーもマディを崇拝していて、彼がデビューするきっかけを作ったのもマディでした。

マディがロックン・ロールを一から作ったわけではないにしても、ブルースからロックン・ロールへの流れをつくった欠かすことのできないアーティストであることは間違いありません。

Rollin’ Stone

彼の人望は大西洋を渡ることになりました。

60年代に入ると、ロックン・ロールからロックの時代になります。

マディの音楽に強く影響を受けたのは、皮肉なことに黒人ではなく白人、アメリカ人ではなくイギリス人でした。

エリック・クラプトン、ローリング・ストーンズなどの、60年代を引っ張ってゆくロック・ミュージシャンたちがマディに受けた影響をもとに音楽を発展させていきます。

マディはいつも、ブルースという音楽が途切れないように、伝統が守られるようにと心を砕いていました。

マディ学校の生徒たちで、この意志を守り続けなくてはなりません。転がる石には苔が生えぬ!

今回は、マディ・ウォーターズをご紹介しました。

Amazon Musicで聴いてみましょう。
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