ブルースには、音楽の魅力のすべてが詰まっています!
ブルースは現在主流のロック、ポップスなどの音楽のルーツとして、永遠に色あせない魅力を持っています。
ここでは、素晴らしいブルース・ミュージシャンたちをご紹介します。
今回は、スティーヴィー・レイ・ヴォーンです。
これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。
それでは、どうぞ。
テキサスの兄弟
スティーヴィー・レイ・ヴォーンは1954年アメリカ、テキサス州ダラス生まれのギタリストです。
3歳年上の兄ジミーもブルース・ミュージシャンで、スティーヴィーは兄のジミーの影響でブルースに興味を持ちました。
いろいろな楽器を試した後、ギターに落ち着きます。彼が7歳のころでした。
マディ・ウォーターズなどの黒人ブルースメンだけでなく、ロックにも耳を傾け、さまざまな音楽を吸収していきます。
後に彼はブルースとロックの融合をごく自然にこなすようになるのですが、若いころからそんな環境の下で活動していました。
ティーン・エイジャーになると彼は早くもステージに立つようになります。
兄ジミーのバンドのベーシストとしてでした。
ダブル・トラブル
やがて、音楽一本で生きていくことを決意したスティーヴィーは、高校を中退します。
18歳の時にダラスからテキサスの州都オースティンに出た彼はナイトクラブなどで演奏し、いくつかのバンドを渡り歩きました。
このころにレコーディングも経験しています。
オースティンでは、数々の大物ブルースメンともセッションをこなし、徐々にテキサスでは名の知れたミュージシャンとなっていきました。
1978年、スティーヴィーは自らのバンド「ダブル・トラブル」を結成します。
彼がギターとともにボーカルも担当することになりました。
モントルー・ジャズ・フェスティバル
やがて、彼らに大きな転機が訪れました。
スイスで開催されたモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演することになったのです。
スティーヴィーのプレイを気に入ったローリング・ストーンズのプッシュもあったようです。1982年のことでした。
ここから、スティーヴィー・レイ・ヴォーンはテキサスのローカル・ミュージシャンから全国区へと出ていくことになります。
レッツ・ダンス
サクセスは続きました。
モントルーでのパフォーマンスに感銘を受けたシンガー・ソング・ライターのジャクソン・ブラウンが彼らにコンタクトをとってきたのです。
ジャクソンはスティーヴィーに自分のレコーディング・スタジオを自由に使っていいと申し出ました。
ついに彼らはスティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブルとしてのアルバムをレコーディングすることになったのです。
レコーディング期間中、さらなる出来事がおきました。
なんとスティーヴィーのもとに、デヴィッド・ボウイから電話がかかってきたのです。
最新アルバムでスティーヴィーにギターを弾いてほしい、という依頼でした。
ボウイもまた、モントルーのステージを観ていたのです。スティーヴィーは、この依頼を受けます。
これがデヴィッド・ボウイ最大のヒットとなった「レッツ・ダンス」でした。
アルバムタイトル曲「レッツ・ダンス」でのスティーヴィーのギター・ソロは周りに衝撃を与えます。
ディスコ調のシンセ・サウンド。その中に突然、アルバート・キングのようなブルージーなギターが飛び込んできたのですから当然でした。
あのエリック・クラプトンも、これを弾いているのは誰だ?と驚きます。
その後、スティーヴィーはデヴィッド・ボウイのコンサート・ツアーへの参加を求められましたが、彼は辞退し、自らのバンドのレコーディングへと戻っていきました。
魅力
白人ブルース・ギタリストとしては60年代のマイク・ブルームフィールドと並ぶ名ギタリスト、スティーヴィー・レイ・ヴォーン。
テキサスという数々の名アーティストを生んだ土地ならではの味を感じさせます。
ストレートなブルースはもちろんのこと、リズム&ブルース、ジミ・ヘンドリックスばりのハードなプレイ。
さらに速弾きのテクニックも驚異的です。
ギターと自らの肉体が一体となったようなサウンドは、まさに彼の生きざまそのものを感じさせます。
ダブル・トラブルというバンド単位で見ても、かっちりとタイトなサウンドで、メンバーの演奏力も確実でした。
さらに、テンガロン・ハットにブーツという彼の服装もまさにテキサス。カッコいいことこのうえなしです。
特にブルースに興味のないロック好きの方にも、彼の演奏は刺さると思いますので、ぜひご一聴を。
今回は、スティーヴィー・レイ・ヴォーンをご紹介しました。
Amazon Musicで聴いてみましょう。