【ようこそブルースへ】マイク・ブルームフィールド

ブルースには、音楽の魅力のすべてが詰っています!

ブルースは現在主流のロック、ポップスなどの音楽のルーツとして、永遠に色あせない魅力を持っています。

ここでは、素晴らしいブルース・ミュージシャンたちをご紹介します。

今回は、マイク・ブルームフィールドです。

これを読めば、きっとあなたも「聴いてみたい!」と思われるでしょう。

それでは、どうぞ。

ブルースの本場にて

ブルース・ロックは60年代前半に発生した、ミュージック・シーンのジャンルのひとつです。

イギリスではローリング・ストーンズやヤードバーズなど、アメリカではポール・バターフィールド・ブルース・バンドらによってスタートしました。

彼ら白人の若者たちは、マディ・ウォーターズなどの本場のブルースをコピーすることから始めて、少しずつオリジナリティを出していき、やがて自分たちの物に育て上げていきます。

どちらかというとイギリス勢グループのほうが活躍していたのですが、アメリカ勢も負けてはいません。

なんと言ったって、本場ですから。そして、アメリカのまさにブルースの聖地と言えるイリノイ州シカゴに、一人のギター少年が居ました。

彼の名は、マイク・ブルームフィールド。白人ブルース・ギタリストの第一人者として、のちにその名をとどろかせることになる人物です。

彼は1943年生まれ。子供のころからラジオを通じてブルース音楽に夢中になり、ティーン・エイジャーになると、バンドを結成して地元で音楽活動を始めました。

プロへの道

マイクはシカゴ在住という地理的優位性を活かして、実際に一流ブルースメンのライブを観に行きます。

演奏者は全員黒人、観客も全員黒人という中で、彼はステージに上げてもらい、自分の腕を披露しました。

彼の心臓の強さも相当なものですが、まわりのブルースメン、そして観客の人たちの懐の深さもうれしくなるエピソードです。

シカゴで名の知れたギタリストとなったマイクは1964年にコロムビア・レコードと契約、晴れてプロのギタリストとなりました。

ポール・バターフィールド・ブルース・バンド

しばらくしてマイクは、白人ブルース・ハープ奏者のポール・バターフィールドと出会います。

そして彼は、ポールのバンドに加入することになりました。

これが、前述のポール・バターフィールド・ブルース・バンドです。

1965年、マイクは彼にとってのターニング・ポイントとなる、あるセッションに参加しました。

それがボブ・ディランのアルバム「追憶のハイウェイ61」のレコーディングです。

そこでマイクは後に盟友となる、アル・クーパーと出会いました。

アル・クーパー

さて、マイクはブルースをやる気満々でスタジオに入りましたが、その演奏を聴いたボブ・ディランは、こう言います。

「おいおい。誰がB.B.キングをやれと言ったんだい?」

結局マイクはその後、ディランからの誘いを断り、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドでの活動に専念することになりました。

しばらくして、マイクは自身のバンドの結成などを経てアル・クーパーと再会します。

そして1968年、名盤「スーパー・セッション」が誕生したのです。

スーパー・セッション

このアルバムは当時、さまざまなアーティストがコラボレーションするという「セッション・ブーム」を巻き起こしました。

1曲目、「アルバートのシャッフル」の最初の一音から、彼の世界に引き込まれます。

彼の、エフェクターを通さないナチュラルなトーンのギターの音色は、いったん気に入ると、とことん好きになってしまうという魅力を持っていました。

白人ブルース・ギタリストは日本ではエリック・クラプトンが人気ですが、マイク・ブルームフィールドも忘れることのできない重要なギタリストです。

今回は、マイク・ブルームフィールドをご紹介しました。

Amazon Musicで聴いてみましょう。
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